FC2ブログ

泉ピン子さんのこと

2012年2月23日(木曜日)

先日、テレビで偶然泉ピン子さんの姿を拝見しました。テレビはあまり見ないので、久々にお顔を見て驚きました。若い頃より美しい、表情にも自信があふれている、なるほど、その人の人生経験や仕事が「人の顔を作る」のは本当だ、と再認識した次第です。

40年程昔、たった一度、泉ピン子さんとお会いしたことがあります。その時の印象が余りにも鮮明で、忘れることができません。時は1970年代初頭、場所は新橋のヤクルトホール、フジテレビの平日お昼の生放送番組(確か「ハイヌーンショー」だったと思いますが、全く受けない番組だった)が行われている現場でした。私はまだ20代初め、構成作家であった故塚田茂氏主催の「スタッフ東京」の研修スタッフというかトレーニーというかというか、そんなことをしていて、その日も塚田先生(と私たちテレビ構成作家を目指すひよっこたちはみなこう呼んでいました)のお供をして、ヤクルトホールに居ました。

当時のピン子さんはまだ20代半ば、ギターケースをかかてヤクルトホールに現れたピン子さんは特に出番もなかったと思いますが、大きな声でスタッフ全員に挨拶をしていました。彼女が1975年から始まった「テレビ3面記事ウィークエンダー」でブレイクするずっと以前のことでまだ地方で歌謡漫談の「営業」をしていた頃です。

テレビ局のADさんが私を「あ、彼女、塚田先生のお弟子さん、ほら『スタッフ東京』のさ、、、」と紹介してくれたためでしょうか、塚田先生の生台本に「歌本」から歌詞を書きうつしたり、「クイズグランプリ」の問題を作っているだけの、「放送作家の卵」でさえなかった私に、ピン子さんはADさんがその場を去るとそっと小声で私につぶやきました。「先生、私のために『良い本』を書いて下さい」と。

「先生」と呼ばれたこともなく、それどころか「先生」と呼ばれることを夢見ることすら手が届かなかった私はそう言われて身が縮む思いでした。まして「本」と言われても、コントや「漫才」、「漫談」の台本が私に書けるわけがない。私が書けるのは、せいぜい「構成台本」と言われるニュースショーの進行表に毛が生えた程度のものでしたから。

でもあの時のピン子さんの真剣な声音は長く私の耳の底に残っていました。

その後彼女が芸人としてブレイクし、更に橋田壽賀子さんのドラマの常連を経て名女優への階段を登りつつある姿を見ると、売れない頃から真剣に「良い本」を探し続けた彼女の強い意志が今の彼女を作り上げたと思わずにはいられません。

今日のコーディネイト:スカートはラルフ・ローレン、セーターはGAP、ジャケットは45rpm、上にバーバリの赤いトレンチオートを着用

20120223
スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

プロフィール

吉川春水

Author:吉川春水
FC2ブログへようこそ!
1949年東京生まれの東京育ち
趣味は美術、音楽、読書、旅行
先日TIME誌で95歳からブログを始めたスペインの女性が97歳で亡くなったという記事が掲載されていたので、私もあと30年はブログを続けたいと思っています。

「ファッション日記」は、その日に私が着た服装とその日の出来事や感じたことを短く書いています。「ワードローブ」はその言葉通り、私の洋服一式のリストです。物持ちが良いので中には30年以上着ている服もあります。「本、場所、人物ー昨日今日明日」は文字通り、今まで読んだ本、訪れた場所、現実、虚構の中を取り混ぜて私がこの年になるまでに巡り合った人々について書いています。「私の昨日今日明日」は今まで私が暮らしてきた中で考えたことなどを気楽に時にシリアスに書きました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー(月別)
03 ≪│2019/04│≫ 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード